2002年に自ら立ち上げたレーベル "ATAK" をプラットホームに、先鋭的な作品を発表し続けている渋谷慶一郎さん。2012年には、初音ミクをフィーチャーした世界初の "VOCALOID オペラ"、『THE END』を発表して世界中から注目を集め、翌2013年にはフランス・パリでも『THE END』の公演を行うなど、ワールドワイドに創作活動を行っています。
そんな渋谷さんの創作におけるメイン・ツールとなっているのが、Steinberg Nuendo。2000年代半ばから愛用し続けているという渋谷さんは、Nuendo のピュアな音質とマルチ・チャンネルへの対応力を高く評価しています。そこで Steinberg では、パリにある渋谷さんのスタジオにお邪魔してロング・インタビューを行い、数ある DAW の中から Nuendo を選んだ理由や、制作に関するこだわりなど、じっくりとお話を伺いました。
たまたま縁があったのがパリで、ここにいるのは本当にそれだけの理由ですね
- 現在はシャトレ座(Theatre du Chatelet・フランス・パリの伝統ある劇場)の中にスタジオを構え、東京とパリを行き来しながら創作を行っているそうですが、東京のほかに、パリにも創作の拠点を置こうと思ったのは?
2014年に現代美術家の杉本博司さんの個展がパレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)という大きな美術館であって、そこでコラボレーションをすることになったんです。そのときにパレ・ド・トーキョーの館長から、「渋谷、パリに住む気はないのか」と声をかけられたのがきっかけですね。ぼくの中ではパリに住むということまでは考えてなかったんですが、『THE END』から始まって杉本さんの個展と、何かこの街と縁が深まってきた気がしていたので、2つ返事で「住みたいです」と答えたんですよ。そうしたら館長が、「パレ・ド・トーキョーではアーティストを支援するプロジェクトをやっているから、その面接に来い」と言ってくれて、とりあえず面接に行ったら、そこで「じゃあよろしく」と決まってしまったという。
- 前からパリに拠点を持とうと考えていたわけではなかったのですね。
全然。それで面接が終わった日の午後、シャトレ座で打ち合わせがあったので、そのときに「パリに住むことになったから、ここの劇場の中でスタジオを貸してもらえないですか」という話をしたら、「そんなことだろうと思って、もう用意してあるよ」と言われて通されたのがこの部屋なんです。
これまでに自分が創作をする上でどの場所がいいのかということはたまに考えていたんですよね。で、ぼくは J-POP のプロデューサーとかシンガーではないから言葉の問題はそれほどないし、日本にいないといけないということもそれほどない。でも、どこかの国や街に思い入れがあるかと言えば特にない。そんなときにたまたま縁があったのがパリで、ここにいるのは本当にそれだけの理由ですね。
- シャトレ座とはどのような契約になっているのですか?
アーティストとして契約しています。彼らは "ホスト・コンポーザー" という言葉を使っていますけど、アーティストとしてここにレジデンスさせてもらっているんです。ただ、本来はレジデンスなんていうシステムは無いと思うので、かなり異例のことではないかと。フランスの作曲家でも、ここで作業しているなんて話は聞いたことがないので。
- パリという街が創作に与えている影響は感じますか?
パリというより、この劇場の中で創作している影響というのはあるかもしれない。劇場って、当たり前ですが観客が目に見えるわけですよ。それって概念ではないんですよね。音楽を CD や配信というパッケージで考えていくと概念的になりやすいけど、劇場というのは実在する空間で、その中で創作しているわけですから、作風が幾分シアトリカルになっているかもしれない。それにここはパリで一番歴史ある劇場で、内装とかデコーレーションとかが凄いんですよ。そんな建物の中で、ぼくはコンピューターとシンセサイザーを使って音楽を作っているわけですから、そのコントラストというのも凄く影響あると思います。
- 実際に住んでみて、パリという街のイメージは変わりましたか?
音楽やカルチャーの重要度が全然違いますね。日本で順番を付けるなら、広告、ファッション、音楽を含むアートやカルチャーという感じだと思うんですけど、こっちは完全にアートやカルチャーが一番先で、その次にファッション、広告だから完全に真逆なんですよね。
コンピューターの中だけで音楽を作れるようになったのは、チェンバロやピアノが発明されたのと同じくらい大きな意味を持つこと
- 渋谷さんが創作にコンピューターを使い始めたのはいつ頃ですか?
大学のときです。でも当時はオーディオではなく MIDI の時代で、全然おもしろくなかったですね。何より MIDI のタイミングの遅れが気になって仕方なくて。だからコンピューターと音源を MIDI ケーブルで繋いでいた時代は、まったくと言っていいほどコンピューターには傾倒しませんでした。
- コンピューターを使ったコンポジションとかもですか?
藝大はコンピューターを使ったコンポジションとか、まったく教えてくれませんでしたから。当時の藝大のコンピューター音楽なんて、MIDI でカラオケの伴奏を作るとか、夢も希望もない感じだったから(笑)。一応、モジュラー・シンセサイザーとか置いてあるんですけど、本当にただ置いてあるだけで。
- そんな渋谷さんが本格的にコンピューターと向き合い始めたのは?
我が事のように思い始めたのは PowerBook G3 が出てからです。確か1997年ころ。それまでもラップトップのコンピューターはあったわけですけど、PowerBook G3 からオーディオを扱えるようになって、それはぼくにとってかなり衝撃的なことでした。だって作曲のルールを知らなくても、おもしろい音楽を作れる可能性が出てきたわけですから。音楽史的にみてもチェンバロやピアノが発明されたのと同じくらい大きな意味を持つことだったと思います。そう思った瞬間に、ピアノや楽譜は全然使わなくなってコンピューターで音楽を作るのに没頭して、ATAK という自分のレーベルを立ち上げました。
- オーディオを編集したり加工したりするのがおもしろかった?
この音が気持ちいいという感覚は、西洋音楽がずっと避けてきたことなんですよ。だって「このドが気持ちいい」とか、「このミが気持ちいい」とか言っていたら、構造化できないですよね。簡単にいうとドミソの和音はドもミもソも部品に過ぎないから和音でまとめるわけだし、そこに規則をつけられる。でもそれが、西洋音楽の盲点だったと思うんです。だから音を感覚のままにコンピューターの中で作るのは凄くおもしろくて、しばらく没頭していましたね。コンピューターをわざとクラッシュさせて、ゴミ箱の中に生成されたファイルを素材として使ったりとか。無音をハード・コンプレッションするとプチプチいってくるんですけど、そのノイズをリズムとして使ったりとか、そういうことをひたすらやっていました。
- コンピューターにハマっている間は、五線紙とペンは手にせず?
全然使わなくなりました。いまでも譜面は必要なとき以外は書かないですけど。もちろん自分の中にはそういうオーケストラや和声の知識は残っているわけですけど、そういうものを一切使わずに音楽を作っていた時期が6〜7年ありましたね。当時、コンピューターで音楽を作っていた人って、アートやデザインの手法とか感覚を音楽に持ち込んでいたと思うんです。ぼくも自分の知識を捨ててそういうやり方で新しく音楽を作りたいと思ったんです。だからコンピューターで作った音に複雑な和音を持ち込んだりとか、そういうことを安易にするのは避けたかった。だからしばらくピアノや楽譜からは本当に離れていましたし、その期間は自分にとって財産ですね。凄く鍛えられました。
他の DAW と比べて Nuendo は、ロー・エンドがクリアで非常にくっきりしている
- 最近は DAW とソフトウェア音源を多用されているとのことですが。
昔は MIDI 楽器を鳴らすなんて使い方はしたことなかったんですが、最近はソフトウェア音源を鳴らすことがすごく多いです。なぜかと言えば、オーディオで録った音よりもソフトウェア音源の方が解像度が高いですから。ソフトウェア音源で作った楽曲の中にオーディオを混ぜると、鮮度が落ちますね。だから今はソフトウェア音源を使って、96kHz/32bit float で音を生成させるというのが一番多いやり方ですね。最近はソフトのシンセサイザーでコードやメロディーも作ることが多くて、以前はメロディーとコードを作るときに必ずピアノに向かっていたんですが、徐々に作曲ではピアノが要らなくなってきている自分がいますね。
- オーディオを編集して曲を作っていくという手法はもうやっていない?
今はほとんどやってないです。その代わりに最近は複数のソフトウェア音源をレイヤーさせて使うとか、逆に1つの音源で1曲作ったりとかが増えてます。ドラム・トラックを作るときも、リズム・パターンを生成する音源と Native Instruments Battery のような単発のドラム音源を組み合わせるだけでグルーヴが変わってきますから。ヴィンテージのリズム・マシンをシミュレートした音源なんかは最初からグルーヴが揺れていたりするので、そういうものを凄く短いタームでオン・オフして使ったり。曲の中にいろいろな揺らぎが混在するようにしています。
- DAW は Steinberg Nuendo を使っているそうですね。
はい。それまでは DAW 的な作業が必要なときは MOTU Digital Performer を使っていたんですけど、確か2006〜2007年頃に乗り換えました。
- Nuendo を使い始めたきっかけは?
コンサートで再生機として DAW を使わなければならなくなって、そのときに Nuendo と Avid Pro Tools の聴き比べを行ったんですよ。安定性を考えると、当時はその2つしか選択肢がありませんでしたか。その結果、Nuendo の方が圧倒的に音が良かったんです。具体的にはロー・エンドがクリアというか、非常にくっきりしていて、当時はスーパー・ローを多用していたこともあって、これは Nuendo の方がいいなと。あと当時はマルチ・チャンネルというか、アウトプットをたくさん必要とする音楽を作っていたので、その点も Nuendo は優秀だったんですよね。それ以降、ずっと Nuendo を使い続けています。DAW に関しては、1度結婚してしまうと別れるのが難しい。なかなか離婚が成立しにくいというか(笑)。またイチから使い方を覚えるのは面倒だし。だから Steinberg がヤマハに買収されるときに、Nuendo は無くなってしまうんじゃないかという噂があって、そのときはけっこう危機感がありました(笑)。
音楽の情報量が増えると2chだと収まらないということに気付いて、マルチ・チャンネルをやり始めた
- 渋谷さんの中で、マルチ・チャンネルというのはどのような位置付けですか?
マルチ・チャンネルは2006年に複雑系研究者の池上高志さんとサウンドアーティストの evala くんと一緒に作った『filmachine』が最初だと思うんですけど、いわゆるサラウンドではない立体音響でしかできない音楽を作ったと思います。あのとき、池上さんとコラボレーションをすることになって、もの凄く速く動く音とか、密度の高いノイズとかをたくさん作ったんですけど、それらを普通に 2ch のフォーマットで鳴らしたところ、何だか音が溢れている感じがしたんですよ。音楽の情報量が増えると通常のステレオ 2ch だと収まらないということに気付いて…それからですよね、マルチ・チャンネルをやり始めたのは。
『filmachine』を作っていた頃にマルチ・チャンネルについて考えたことがあって、海でマッサージを受けていたときに、耳に入ってくる波の音がとても気持ちよかったんです。でも、普通は4つ打ちのビートとか、規則正しく鳴る音をみんな気持ちいいと言ってますよね。波の音は不規則なのに何でこんなに気持ちいいんだろうと考えたんですが、波の音が2チャンネルではないからだと思ったんです。規則的なビートは、2で割り切れるからステレオの 2ch で気持ちいい。しかし波の音は不規則で2で割り切れないから、その気持ちよさを表現するにはマルチ・チャンネルが必要なんじゃないかと直感的に思ったんです。
- DSD に関してはいかがですか?
生楽器を録るときは DSD を使うこともあります。Earthworks PM40 との組み合わせでピアノを録ったりとか。ただ、DSD で録るときは同時に Nuendo も回して DSD 経由で PCM でも録るようにしています。DSD を後で PCM に変換するのは時間がかかりますからね。
DSD に関しては、現状ぼくにとっては理想的なフォーマットなんですけど、それが万人向けかというとどうかなとも思います。DSD やハイレゾは配信での販売になると思うんですけど、まだまだファイルにお金を払うことに抵抗のある人が多いですからね。実際、ファイルを買っても CD やレコード買うほどは楽しくない。だから、ファイル販売は過渡的なもので、定額ストリーミングでハイレゾというのが現実的かなと思うんですけど、それも過渡的なものになるでしょう、未来から見たら。でも音の高解像度の可能性には抗し難い魅力があるので、個人的にはそれに沿っていくとは思うんですけど。
- 自分の作品を DSD / ハイレゾと CD の両方のフォーマットで販売する場合、できれば DSD / ハイレゾで聴いてもらいたいですか?
作品によりますね。ただ、CD でリリースしているものに関しては、マスタリングもそれに合わせてやっているので CD で伝わってないということはないです。ただ、DSD で売ることを前提にライブレコーディングしたものなどは DSD で聴いてもらったほうが全然いいです。
- 渋谷さんは ATAK という自らのレーベルを運営されているわけですが、作品を発表する手段として、CD や DVD といったパッケージ・メディアにはまだ価値があると。
昔は2000年代半ばにはパッケージ・メディアは消えているんじゃないかなと思っていたんですけどね。でも、ハイレゾ以外だといまだに CD が一番音が良いですし、マスタリングの技術も CD にアジャストされているところがあるので、しばらくは完全に無くなるということはないんじゃないかなと思います。これはビジネスとしての可能性とかは別としてですけど。
- では ATAK からは今後もパッケージ・メディアがリリースされると。
ATAK は、パッケージ・メディアのレーベルではあるんですけど、それ以上にぼくが活動する上でのプラットホームというか。自分でプラットホームを持っていると、何かやるときに動きやすいんです。だから今だとか究極に音が良いコンサートをオーガナイズするというのも重要なアクティビティだし、それと『THE END』のボックス版の様に豪華なパッケージをソニーと作ったり、『ATAK021 Massive Life Flow』の様にプラ・ケースに DVD が入っているだけのシンプルなパッケージの作品を ATAK だけでリリースしたりとかいう落差や振れ幅を作れるのも、パッケージ・メディアのおもしろいところですよね。で、そこを軸に時代や現象を見ることができるというのは音楽家にとっては重要なことかと思います。だからいろんな人に協力してもらいつつ粘り強く続けていますね、大変ですけど(笑)。