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株式会社マリモレコーズの代表取締役であると同時に、作曲家として、プロデューサーとして、レコーディングエンジニア、マスタリングエンジニア、さらにはトラックメーカー、 DJ としても幅広く活躍する江夏正晃さん。以前 Steinberg アーティストのインタビューで「SEQUEL」の魅力について語ってもらったこともありましたが、今回はハイレゾサウンドをどのように作るのかという点について、実際の手法を含めて詳しく伺ってみました。

会社員を続けながら、自主レーベルを立ち上げた

- 今日は、江夏さんの音作りについて、いろいろ伺っていきたいと思います。まずは、江夏さんがプロとして音楽活動を始めたキッカケを教えてもらえますか?

子供のころからピアノと作曲を習っていたり、中学生のころからは YMO に憧れてシンセサイザーの音作りを習ったり、そこからはシンセサイザー道まっしぐらでした(笑)。もっとも、プロとして音楽活動するなんて考えてもいなかったから、学校は大学院まで出て、普通に就職。真面目なサラリーマンとしてしっかり働いていましたよ! ただ週末はすることもなかったので、夏休みに実家に戻って DX7 を取ってきたり、MTR を購入したりしながら、音楽制作はしていました。給料をつぎ込んで、当時出たばかりのハードディスクレコーダーを買ってみると、もうプロとの音質の違いもなくなってきたな……なんて思うようにもなりました。そうした機材を使ってデモテープを作り、ちょこちょこ送るようになると、少しずつ、いろいろなところから声がかかるようになってきたんですよ。大手レーベルからの仕事も来るようになったのですが、途中でとん挫してしまって、ガッカリしたこともありました。もう、会社員として頑張るしかないなと思っていたところ、弟から「兄貴、音楽がやりたいんだろ。大手レコード会社と一緒にやっていてもいいことはないし……。だったら、自分たちで作ればいいじゃないか」と言われ、二人で10万円ずつ出し合って、自主プレスをしてインディーズとしてリリースしたんです。それが2000年のことでした。ブレイクビーツ色の強いエレクトロ作品で、今の作品にも通じるもがありました。

- 会社員を続けながら、自主レーベルを立ち上げた、ということですよね?

はい、当時は趣味としてやっていたので、夜と週末に音楽制作をしていました。堅い会社であったため、そうした音楽活動については完全に秘密にしていましたし、朝いちばんに出社して黙々と仕事をしていましたから、上司からは「お前も、何か趣味でも持ってみたらどうだ……」なんて言われたりもしましたよ(笑)。第2弾で出したものがインディーズチャートの1位になるなど、調子に乗って何を勘違いしたのか、2003年に会社を辞めて、音楽一本に絞ることにしたのです。会社の回りの人からは、別の会社に転職すると思われたみたいで、「音楽をやるんだ」という話をしたら、信じてもらえないし、驚かれたり、呆れられりした感じでしたね(苦笑)。

Cubase、Nuendo、音質へのこだわり

- その当時、どんなツールを使っていたのでしょうか?

ファーストアルバムから Cubase で、当初は Cubase VST 5 だったと思います。ただ当時の VST 5 は音質にクセがあってフェーダーワークに苦労しました。だから、Cubase 内においては、できるだけフェーダーをいじらないようにして、バランス調整は外で行うなどの工夫をしていました。でも、その後 Cubase SX になって、音質が劇的に向上したんですよ。そこからは私も Cubase 一辺倒ですね。ただ、 Cubase SX になる際、OS が Mac OS 9 から Mac OS X になったため、 OS 側のトラブルが続出。これじゃあ作業にならないし、すべてシステムを作り直さなくてはならず、どうしようかと思ったのですが、どうも Windows がいいらしい、という話を聞いて、Cubase 環境を Windows に移行させたんですよ。驚いたのは、当時 Mac に挿していた RME のオーディオインターフェイスが、そのまま使えてしまったことです。これですべてが解決するし、プロと十分渡り合えると実感しました。当時はまだ SONY の PCM-3348 が現役で使われていた時代ですが、レコーディング機材として見て、それと遜色がないように感じるくらいでした。プロの現場との音の違いはレコーダーではなく、マイクとかマイクプリアンプが問題である、という認識もハッキリとしました。

- 会社をやめて音楽を本業にしてからは、順調に行ったのですか?

実は本業にした途端に、仕事がパタンとなくなってしまい、大変なことになりました。営業しても仕事はもらえないし…… 1年ほどで貯金も底をついて、もうバイトをしなくちゃ、というギリギリにところで1つ仕事が入り、それをキッカケに回るようになっていきました。CM の仕事、展示会での音楽、売り出し中のアイドルの楽曲作成から学校の校歌までいろいろやりましたね。当時、弟はテレビ局で映像の仕事をしていたのですが、2007年に弟も会社を辞めて、株式会社マリモレコーズとして本格的なスタートを切ることになったのです。音楽と映像をワンストップで制作できることが話題になり、少しずつ仕事が増えていきました。音質についても、こだわるようにして仕事をしてきました。Cubase SX 以降も Cubase のバージョンアップを重ねながら使っているのですが、Cubase SX 時代に Nuendo が出てからは Nuendo と並行して使っています。

- Cubase と Nuendo の使い分けというのはどのようにしているのですか?

スタジオでは Nuendo を使い、外では Cubase というのを基本にしています。ただ僕の中では Nuendo とCubaseの違いはほとんど意識せずに使っています。うちの場合 MA もするし、映画のダビングなんかもするため、やはり Cubaseに比べ、MA 向けの機能が数多く搭載されている Nuendo は映像との関わりが多い弊社では便利なことも多いんですよね。もっとも Nuendo も NEK (Nuendo Expansion Kit) をインストールしてしまえば、ほぼすべての Cubase 機能が実現できるので、まったく違和感はないですよ。

ハイレゾの場合、細かい部分のニュアンスが見えてくる

- 江夏さんは、以前からハイレゾにこだわった仕事をされていますよね。ハイレゾの制作はどのようにしているのでしょうか?

ハイレゾって、どちらかというと聴き手側のニーズ、もしくはオーディオメーカーの要望で広まってきたという面が大きいと思うのです。誰だって、よりいい音で音楽を楽しみたいですからね。ただ、作り手側は、いまようやくハイレゾへの対応へ進みだしたというところです。実際、現場を見てみると、今でも 48kHz でレコーディングしているケースが多く、96kHz で行っている現場はちょくちょく見かけるようになったぐらいなんです。一方でハイレゾ制作現場はクラシックやジャズなんかが多いので、コンプを多用するとそのメリットは少なくなるのでは?と思う方もいらっしゃるかと思います。確かにアコースティックサウンドでは、コンプをかけなければダイナミックレンジも大きくとることができ、ハイレゾの音の良さが顕著にわかります。でもポピュラーの世界でコンプなしに制作することは少ないですし、Waves L1 のようなマキシマイザーを使わずに作ることは考えにくいのです。コンプがかかることによる気持ちよさ、カッコよさというものはあるし、コンプをかけないダンスミュージックなんて現代的なサウンドになりにくいですしね。

- よく音圧競争という話題が出てきますが、今後どうなると思いますか?

音圧競争というか、とにかく音圧さえ上げればいいという手法は減ってきているように思います。音圧を上げることで音の良さを遡及するのではなく、ハイレゾ環境というものを利用しながら、音質を重視するアーティストが増えてきていると感じています。

- コンプをかけることとハイレゾは両立するのでしょうか?

もちろんです。ハイレゾとそうでない素材で、コンプをかけた場合の劇的な音質の違いはないと思います。でも、ハイレゾの良さというのは、いろいろとあります。僕が特に思っているのは、コンプをかけていても、ハイレゾの場合、細かい部分のニュアンスが見えてくる感じがします。たとえば、最近のハイレゾ作品でいうと Daft Punk の「Random Access Memories」なんかを聴いてみると、コンプをうまくかけつつも、細かな音のニュアンスを絶妙に表現していると思います。この作品は音圧はそんなに高くないのですが、音質は抜群に良く感じるんですよ。

- 制作環境を考えた際、ハイレゾ作品を作る体制はどうですか?

以前は 96kHz にすると、PC のマシン負荷が大きく、なかなか扱いづらく、プラグインも 96kHz 対応でないものも多くありました。でも、Cubase や Nuendo が進化してきたこと、PC の処理能力が向上したことなどにより、現在は 96kHz のプロジェクトに多くの VST プラグインを使っても、サクサクと動いてくれるので気持ちよく作っていくことができますよ。

- そういえば、先日、アニソン DJ 女子のサオリリスさんと、ユニットを組んで、ハイレゾ楽曲を無料でリリースされていましたよね。

はい、今年春に、 SAOLILITH 2 FILTER KYODAI という名前でシンセサイザー・ライブユニットを結成しました。ある方にサオリリスさんを紹介してもらったのがキッカケだったのですが、僕と弟のユニットである FILTER KYODAI は、2009年の Steinberg Day でデビューしているんですよ。サオリリスさん自身は、非常に個性的な DJ 。ただ、普通にアルバムを作ってもなかなかその個性が出せないのでは…… と思い、何か面白いことはないだろうか、うまく個性を引き出す表現はできないだろうか、と考えた中のひとつがハイレゾだったのです。ハイレゾを使うことで、彼女の息遣いや動き、声の表情、ニュアンスが感じてもらえればいいなと思い、フルハイレゾでの制作に取り組んだ結果、先日「CONNECT」という4曲入りのアルバムを出し、現在、これを無料で配布しています。

- フルハイレゾというのは、どういうことですか?

これも、やはり Nuendo で制作を行っているのですが、単にプロジェクトを 96kHz に設定したというだけではなく、 VSTi のシンセも VST のプラグインエフェクトも 96kHz 対応のものを用いて作っていったのです。やはりハイレゾで作ると音が見えてくる感じがするんです。コンプもかけ過ぎはよくないですが、適度にすることで、いいサウンドになってくるのです。クラブで DJ をしていても、やはりハイレゾだと、明らかに違いが出てくように感じるのです。トラックメイキングにおいても、その感覚は同様です。48kHz と 96kHz の違いって、高域をよりハッキリ捉えられるということだけではないと思うんです。いちばん感じるのは EQ です。昔やっていた 48kHz では 1dB の差が分かりにくかったけど、本当に 0.5dB ずつの違いが感じられるように思うんです。すでにフルアコースティック作品でやっているのですが、できれば、打ち込み作品でも 192kHz、32-bit Float でやってみたいところですが、その辺はプラグインなどを含め、まだ環境が整っていないというのが実情ですね。

32-bit Float 対応 Cubase でハイレゾ作品を作る

- ところで、いろいろな DAW がある中、ハイレゾ作品を作るという点で、Cubase はいかがですか?

32-bit Float が扱えるかどうかが大きなキーになると思います。32-bit Float 非対応の DAW で制作してきたエンジニアと、Cubase を使ってきたユーザーの間には、根本的な違いがあるんですよ。Cubase は VST 5 の時代から内部 32-bit Float で処理されているため、24-bit 環境に比べるとクリップしにくい環境になります。だから Cubase に慣れ親しんできた人には、音量大きめでレコーディングする方が多いんですよ。それに対し、32-bit Float 非対応 DAW だと、みんなクリップを恐れるために、ゲインをものすごく控えめに制作していくんですよ。もっとも最近の多くの DAW も 32-bit Float が扱えるようになったので、その意味では Cubase と並んだといえます。でもこれまでの 慣れもあって、いまでも小さい音でまとめてしまう傾向があるようですよね。別の言い方をすると、昔から Cubase を使ってきた人は、知らずに大きい音量で OK テイクとしてきており、結果的にダイナミックレンジを大きくとることができていたのです。だから、レコーディングした素材を音量を下げる方向でミックスする時には S/N が良くなるのです。

- ダイナミックレンジが大きくとれるということは、見方を変えれば、分解能が高くなるということにもなりますよね。

そう、だからハイレゾにすると、細かい音の違いがハッキリ捉えられるようになります。そのため EQ をかけた際、ちょっといじるだけでも違いが分かるからかけやすいし、パンニングだって分かりやすくなります。もちろん、フェーダーワークにしてもコンプのかかり具合にしても、少しの違いを感知できるようになるのが大きなメリットです。まさにミックスに大切な要素が ハイレゾ制作環境では、分かりやすい傾向にあるのです。

- ハイレゾにすることでの恩恵が得やすい音色ってあるものですか?

やはり高域成分が多い音は、ハイレゾにすると分かりやすくなりますね。顕著なのがボーカルやハイハットなどでしょうか。ハイレゾにすると、細かなニュアンスの違いがハッキリわかって、ミックスもしやすくなります。もちろん、ただハイレゾにするだけで、いい音になるというものでもありませんが、最終的な音がよくなる方向になるのではないでしょうか?

- プロジェクトをハイレゾに設定するだけで、すべて OK というわけではないと思うのですが、実際いい音にするためのヒントなどあれば教えてください。

何をすれば音がよくなる、という定石はないと思います。ただ、どうするといい方向に向かうのか…… ということには常に気を使っていく必要があります。気を使わなかったら、決して音はよくなりませんからね。たとえば、ピアノや女性ボーカルなどをミックスする際に、定石のように EQ で低域をバッサリ切ったりするのではなく、楽曲の方向性を考えてどうするのかを考えたりすることが大切だと思うんです。ピアノや女性ボーカルなんかは低域切ることですっきりすることは多いのですが、できれば切らない方がその素材の良さは残ると考えています。だから私はまずフェーダーワークを大切にするように心がけています。ひとつひとつの素材をできるだけ丁寧にバランスを取っていき、フェーダーワークだけで解決できない問題に直面した時に EQ やコンプを使うようにしています。 良い音にするためにみなさん悩まれていると思いますが、大切なのはいろいろな試行錯誤の積み重ねであり、それが良い音につながっていくのではないかと考えています。私も毎日悩んでいます!(笑)

- ありがとうございました。